tomori nagamoto

Tomori NagamotoのLife Lessons

Lesson 8

"Reserving judgements is
a matter of infinite hope."

判断を保留することは、
無限の選択肢をもつことである

― F. Scott Fitzgerald ―

告白、僕はゲーム音痴だ。トランプや花札のルールは知らないし、麻雀やポーカーなどのギャンブルもやらない。小学生のころ任天堂やコンピュータゲームが流行ったけど、まったく見向きもしなかった。WiiだのPSPだのといった昨今のゲームに至っては呼び方すらよくわからない。言ってみればゲームヴァージンな「箱入り男子」として育った。しかし、男の箱入りは気持ち悪い。ハードボイルドな匂いがどこにもしない。これが女子ならば、歌でも運動でも味覚でも方向でも、音痴が多ければ多いほど清純度が上がり、箱入り娘としての価値がハネ上がってしまうのだから不公平だ。
ともかく、今になってその理由が分かるのだが、僕はルールがある遊びが嫌いだったのだ。それよりは絵を描いてる方がいい、漫画のキャラクターをこしらえたり、ギターを弾いて曲を書く真似ごとをしてる方がいいという、とってもクリエイティヴな子どもだった(のだと自分を肯定したい)。まぁ、それは結果的に僕がアートなんていう(わりと)ルールに縛られない世界に来ちゃったから言えるのかも知れないが。
こんな僕であるから、誰かの悩み相談なんかに乗ると驚くことが多い。みんな夢を追うのは30歳までとか、何歳までに結婚して子どもを産むとか、移民できなかったら日本へ帰るとか、まるでゲームの制限時間が迫っているかのように答えを出していく。トランプでカードを切るように何かを捨てていく。勝ち負けなんてないはずなのに、どこかで逆転を狙っている。これがビジネスマンならば、優れた判断力を持った人間が評価されるのは分かる。しかし人生は、自分の生きる道や進路は、そんなゲームみたいに右か左かで選べるわけがないと思うのだ。
何かを選択することは、同時に何かを「終わらせる」ことでもある。
逆にいえば、何かを選択しなければ無限の選択肢を手にしているのと同じこと。ランチでうどんを喰うかパスタを食べるかくらいは即答できる自分でありたい。けれども、今はまだ決断できないこと、選べないことを「保留」するのは決してネガティヴな行為ではないと思うのだ。僕はこれを「保留のすすめ」と呼ぼう。
現に、僕はいくつもの答えの出せない問題を抱えているが、答えが向こうからやって来るまで放っておくつもりだ。それは畑の野菜のように、育つスピードも違えば収穫の季節も違う。実が熟してくればおのずとその色や匂いで分かる。大切なのは間違った時期に収穫して「終わらせて」しまわないこと。人生も同じ。これはゲームじゃない。だってリセットが利かないのだから。

[ 2011/01/07 ]

永本冬森   ながもと ともり

現代美術家。ニューヨーク、東京、トロントを拠点に活動中。アーティストとして美術展を開催するだけでなく、詩人として詩画集などを発表。また、ピアニスト百々徹 (どどとおる) 氏のプロモーションビデオなども手掛ける。『Now』誌の「ベスト・アーティスト」賞、『EYE』誌の「ベストビジュアル・アーティスト」賞などを受賞し、トロントにもそのファンは多い。

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