tomori nagamoto

Tomori NagamotoのLife Lessons

Lesson 10

"Our heads are round so
thought can change direction."

僕らの頭は丸い
だから気持ちひとつで方向も変えられる

― Allen Ginsberg ―

いつも「自在」でありたいと思う。旅先で、苦手な料理を出されるたびにそう思う。食べてみたら意外に美味しかったりして、思わず舌を二度見(舐め)してしまうことがある。そうやって毎回テーブルに出されたものと真っさらな気持ちで向き合えたなら、人生すらも変えられるような気がする。

何かに執着し、こだわってしまうとき、新しい扉は開かない。お金、名誉、学歴、異性、夢などへの執着から、好きなブランド、風呂の入り方、コーヒーの濃さといった日常の小さなこだわりまで人は様々なものに執着しながら生きている。

言うまでもないが、そういう執着心は時に大きなエネルギーを生む。エジソンの発明もアントニオ猪木のアリ戦も、その並はずれた執着心によって達成されたものだ。そもそも執着がなければ努力もない。努力とは執着のあとに芽生えた自覚のことである。

では、この執着心がたくさんあれば良いのかといえばそうとも言えない。道を歩いてて肩がぶつかった時、チッ!っと誰かに対して腹を立てることはないか? それもまた執着である。人は腹を立てるとき、自分が絶対に正しいと思っている。自分の正しさに執着があるからこそ他人を許せないのだ。だから執着心が強い人ほど怒りやすいし、自分の意見を曲げない、他人の意見を聞き入れないのである。

かつての僕は、アートの世界で生き抜くために必死で絵を描いていた。「これしかないんだ」という強い想いでしがみついていた。それを自信だとか決意だとか呼ぶ人もいたけど、いま思えばそれは執着であった。そんな時に出会ったのがこのギンズバーグの言葉である。

以来、僕は少なくとも絵を描くことだけがアートだなんて思わないようにした。絵に行き詰まれば写真を撮り、写真に行き詰まれば詩集を作り、それに飽きればまた絵に戻り、まるでバスケットボールのピボットみたいに軸足をアートに置きながらいくつもの逃げ道をつくってきた。もしも、そういう逃げ道がなかったら僕はとっくに消えていただろう。かつての仲間たちは、みんな僕より才能があったしストイックであったけれど、今は誰も残っていない。みんな「これしかない!」と信じるが余り、それが折れてしまった時の選択肢は、文字通り筆を折ること、になってしまったのだ。

僕らの頭は丸い。だから気持ちひとつで方向も変えられるのだ。かの諸葛孔明は『この戦略しかないと思ったら終わり』だと言っている。三国時代の天才軍師ですらいくつもの戦略をもって戦に臨んだのだから、僕らが生きるための逃げ道をいくつも持っておいても責められはしないだろう。

[ 2011/03/04 ]

永本冬森   ながもと ともり

現代美術家。ニューヨーク、東京、トロントを拠点に活動中。アーティストとして美術展を開催するだけでなく、詩人として詩画集などを発表。また、ピアニスト百々徹 (どどとおる) 氏のプロモーションビデオなども手掛ける。『Now』誌の「ベスト・アーティスト」賞、『EYE』誌の「ベストビジュアル・アーティスト」賞などを受賞し、トロントにもそのファンは多い。

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