tomori nagamoto

Tomori NagamotoのLife Lessons

Lesson 11

"Good manners are all about
making people feel pleasure."

作法とは、突き詰めると「相手を喜ばすこと」

― Takeshi Kitano ―

作法というと堅苦しく人を縛りつけるイメージがあるが、実は相手を思いやる心を伝えるのが作法の本質である。言ってみれば人間関係を良好に保つうえで欠かせない、クッションのような役割りを果たすものだ。

もちろん親子の間にも作法はある。長い間苦労をかけてきたから、日本へ帰国する度にちょっと高めのプレゼントを買っていくのだが、母はありがとうねと言ってすぐにそれを箪笥にしまってしまう。そして、ささ、ご飯たべなさいと手料理を振舞うのである。きっと家を一軒プレゼントしたとしても同じだろう。ありがとうね、ささ、ご飯たべなさい、で終わりだろう。僕はボリュームいっぱいのご飯を噛みしめながら、子どもに戻ったような気持ちで幸せになる。これが母の流儀であり、親としての作法であると気付いたのはほんの最近だ。

人が一生に食べるご飯の回数は約9万回だという。そのうち半分は母の手料理だったとすると軽く4万回は食べている計算になる。しかし、これから先のことを考えると突然真っ暗な気持ちになってしまう。一体あと何回母の手料理を食べられるのだろう?明日倒れてしまうかもしれないし、これが最後の食事になってしまうかもしれないではないか。そう思うと、とてもご飯を残すなんて不作法はできなくなる。すべての皿に箸をつけ、おかわりをし、ごちそうさまと言う。僕にできるのはそれだけだ。

ご飯に関しては、僕には後悔すべき過去がある。18で家を出て東京で暮らしていた頃、何かの書類が必要で、実家のある茅ヶ崎駅まで母に届けてもらったことがある。そのとき母は書類だけでなく、お弁当まで包んで僕に持たせようとした。けれど僕はそれをつき返した。電車の中で食べるなんて恥ずかしい、それに僕はそんなもの食べる暇もないほど忙しいんだ、という態度で。それでも母は「持っていきなさい」と押し付けたが、僕はそれを振り切って電車に乗った。その時の母の立ちつくした姿が今も目に焼きついている。電車の中では涙が止まらなかった。

ありがとうという感謝の気持ちは父親にもあるが、一番違う点はここにある。母には、生命を育んでもらったという絶対的な信頼感、つまり母乳で育って、手料理を食べて成長してきた『へその緒のつながり』があるのだと思う。北野武は言う、作法は一方通行では成り立たない。気を遣う側と、遣わせる側の気持ちが合わさってはじめてちゃんとした作法になるのだと。ご飯を食べることは、母の愛情も一緒にいただくということ。コンビニ弁当を食うのとは訳が違う。マザコンと呼ばれてもいい、母の前ではいつまでも子どもでいようと思う。

[ 2011/04/01 ]

永本冬森   ながもと ともり

現代美術家。ニューヨーク、東京、トロントを拠点に活動中。アーティストとして美術展を開催するだけでなく、詩人として詩画集などを発表。また、ピアニスト百々徹 (どどとおる) 氏のプロモーションビデオなども手掛ける。『Now』誌の「ベスト・アーティスト」賞、『EYE』誌の「ベストビジュアル・アーティスト」賞などを受賞し、トロントにもそのファンは多い。

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