tomori nagamoto

Tomori NagamotoのLife Lessons

Lesson 13

"Sometimes life is merely a matter of coffee and whatever intimacy a cup of coffee affords."

時に人生はカップ一杯のコーヒーがもたらす暖かさの問題

― Richard Brautigan ―

そのとき僕は18歳で、外では桜が散っていた。高校の卒業式を終えた翌日に東京へ旅立つことを決めていた僕は、当時つき合っていた彼女に最後のあいさつをしようとしていた。彼女は一つ年下で、違う高校に通っていた。携帯電話なんてなかったので僕らは学校帰りにあるカフェでよく待ち合わせた。カウンターと4つのテーブル席しかない小さな店で、徹男という名の若いマスターが一人で切り盛りしていた。壁にはゴダールの映画ポスター、本棚にはゲバラやバックパッカー本が並び、世界各地を旅行したと思われる民芸品の数々が置かれた店内は、無国籍を超えて完全なるカオスの空間を演出していた。そのうえ脱いだ服や私物があちこちに散らばっているので僕らはそこを愛情込めて『徹男の部屋』と呼んでいた。

とにかく僕はその日、『徹男の部屋』でだいぶ長いあいだ彼女が現れるのを待っていた。いま考えればおままごとみたいな恋愛だけど、人生のある特定の時期において恋愛とは世界のすべてが始まり、すべてが終わる場所なのだ。なかなか現れない彼女にも彼女なりの理由がある。それを誰も責めることができないことぐらいはわかっていた。ビーカーにコポコポと音を立てて抽出されるサイフォン式のコーヒーは大嫌いだった理科の実験を思わせた。何かの罰に耐えるような気持ちでそれをじーっと眺め、徹男はカップが空になるたびにその褐色の液体を注いだ。たしかに何かの罰かもしれない。コーヒーの味など何もわかっていなかった僕は、ただその不味い液体を飲み干しつづけた。

結局、彼女は現れなかった。店じまいを終えた徹男がカウンターの奥からこう言った「コーヒーでも飲むか」。僕はわけが分からなかった。今までさんざん目の前で飲んでいたじゃないかと。しかし徹男はまったく意に介さずコンロで湯を沸かしはじめた。そして丁寧にミルで豆を挽き、やわらかなネルドリップの布にそれを載せた。湯を注ぐとたっぷりとした泡がたち、サイフォンとは比べものにならないぐらい芳ばしい香りがした。「これは俺からの餞別だよ」と言って差し出されたその一杯は、僕の人生を変えるくらい美味しいものだった。

それは僕がはじめて受けた「もてなし」の一杯だったように思う。時に人生はカップ一杯のコーヒーがもたらす暖かさの問題。『コーヒー』と題されたリチャード・ブローティガンの短篇の中にそういう科白がでてくる。それまで僕にとってコーヒーとは待ち合わせや暇つぶしの合間に飲むものでしかなかった。以来、徹男には会っていないが僕の心にはあのときの失恋の痛みとコーヒーのほろ苦さがリンクして記憶されている。

[ 2011/06/03 ]

永本冬森   ながもと ともり

現代美術家。ニューヨーク、東京、トロントを拠点に活動中。アーティストとして美術展を開催するだけでなく、詩人として詩画集などを発表。また、ピアニスト百々徹 (どどとおる)氏のプロモーションビデオなども手掛ける。『Now』誌の「ベスト・アーティスト」賞、『EYE』誌の「ベストビジュアル・アーティスト」賞などを受賞し、トロントにもそのファンは多い。

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