気分は生活習慣病

120「無謀な挑戦から出た結果的絶望」

昔から絵を描くのが好きだった。 …という訳ではないが、
絵を描いている時が一番楽しい。 …という訳でもないが、

気付けば…もっと上手に絵を描けるようになりたいと思っていた。それは、画家を志していた祖父の血が濁りなく流れ、父が旅先等で時間があればスケッチに興じるような描画が好きな人間であり、その血が清らかなまま息子の私に受け継がれたということなのか、私は子どもの頃、絵を描くことに全く興味がなかった。

幼少期に近所の信用銀行の空き部屋で定期的に開かれる密会のような絵画教室に姉と強制的に通わされていたのを覚えているが、其処で喜んで絵を描いていたという記憶は全くなく、絵を描かずに変な自作の歌を歌いふざけて人の邪魔ばかりして怒られていた記憶しかない。

そんな私が真剣に絵を描くようになったのは、高1の頃からで、テレビで取り上げられた『グラフィティー』たるものに瞬間的に心を奪われ、自分も壁いっぱいにメッセージ性のある絵を描いてみたい!と一念発起、万引き紛いの行為で(注…決して万引きではありません)手に入れたスプレー缶を持って、夜更けに誰も居ない学校近くの公園に行き、頭の中にあるメッセージをコンクリートの壁に多少周囲に気を配りながら一心不乱に描いた。

私にとってそれは、処女作にして渾身の作品であり、私がその絵に託したメッセージが公園利用者に感動を与え、公園ある限り大切に保存されるものになるであろう傑作であった。そして、それは公園管理業者の心を熱くたぎらすに至ったようで、2日後、壁と同色のペンキで完全に消されていた。どうやら、『いたずら』以上のメッセージを伝えることが出来なかったようで、単なる落書きと判断された。「ミケランジェロが礼拝堂の壁に描いた絵は後世に残されているのに、何で俺の絵はたった2日で消されたんや」と異常な悔しさが胃の奥から湧き出て、血管を巡り全身に行き渡る際に、祖父のDNAを触発したのか、それ以来、絵の上達を望み、アトリエに通うようになり、大学で絵を学びたいと思うようになった。

そんな揺らぎ無き強い想いはお笑い情熱には全く敵わず見る影も無くなったが、母親に涙ながらに気狂い扱いされたことにより、何とか薄っぺらくも取り戻し、再び美大を目指すようになった。私の志望美大には学科の一次試験があったが、合格点は物凄く低く、毎年京大合格者を何人も輩出しているような進学校に通っていた私にとって頭脳よりも絵画力に重点を置いているような一次で躓くなんてことは有り得ず、兎に角絵画力を上げる事が重要だった。毎日何枚も絵を描いた。すると、一度停滞していた水が一気に放水され勢いよく流れ出すかのように、描けば描く程日に日に絵が上達していき、合格は間違い無いとアトリエの先生にも太鼓判を押されるようになった。

学科試験を終え、実技試験を数日後に控えたある日、大学側から受験番号を記された通知が届き、『一次試験不合格の為、二次は受験出来ません』と書かれていた。

いや、絵の試験わ?…私の美大受験は絵を一度も描くことなく終わった。

[ 2009/06/19 ]

nob morley
吉本新喜劇所属。先日、親友のfrog pilotが解散。京都のラストライブに行って来ました。「この曲で最後です。僕ら、解散します」の一言に涙。

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