気分は生活習慣病

130「天国地獄早稲田大学」

父方の祖父が亡くなった時、母は、顔に純白の布を掛けられた状態で行儀良く仰向けに横たわる魂の抜けた躯を目の前にしても今一つ状況が掴めないでいる5歳の私の肩をそっと両手で抱き、周りの親戚に聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で「お祖父ちゃんは凄い人なんよ! 何せ早稲田大学に行かはったんやから…」と、私の耳元で優しく言った。 その時、私は祖父が死んだということよりも、『早稲田大学に行けば凄い人になれる』ということを理解した。

それから数か月後、母方の祖父、所謂、母の父も他界したのだが、時に子ども心とは実に残酷なもので、箱に収まり寝息も立てず静かに眠る祖父を指差し、母に「お祖父ちゃんは早稲田に行かはったん?」と、しんみりした場の空気を一変させるような快活な声で訊いた。母は、実父が亡くなり悲しみに咽び泣く私の姿がお前には見えないのか! と、急に突拍子も無い事を言い出した空気を全く読めぬ愚息に腹を立てるよりも恥ずかしさの方が上回ったようで、泣いて赤くなった顔をより一層赤らめ、物凄い形相で、先程まで正座をしていたことによる痺れがかなり残る足で明らかにしっかりと踏み込めていない変な歩き方を繰り返しながら私に向かって来て、呆気に取られ茫然自失状態に陥った親戚一同に申し訳無さいっぱいの会釈をし、私の手を取りその場から連れ出した。それは寝る前に母が読み聞かせてくれる絵本に出てくる赤鬼が娘っ子を連れ去る光景と酷似しており、祖父が死んだことに涙一つ見せなかった私は、赤鬼が自分を何処かに連れて行こうとしている怖さに声を大きくして泣き叫んだ。母は私を斎場の外へ連れ出すなり扉をぴしゃりと堅く閉め、身体の震えを必死に抑えながら、小さい私と視線が合うように身を屈め、悲しみに満ちた潤み切った瞳で真っ直ぐ私を見つめ、子どもの悪行を正すように力強く言った。

「おじいちゃん、死なはってん。早稲田やなくて天国に行かはってん」

一瞬、母が何を言っているのか分からなかった。

今の私なら「いや、そういう意味で訊いたんちゃうねん!」と的確なる返しを脳内から引っ張り出すのだが、幼児の私にはこの事象を記憶することで精一杯だった。水の入ったバケツに乾いた厚手の布を放り入れた時に布が形を崩しながらゆっくりと水を吸収しゆったりとバケツの底に沈んでいくように、染み入るかの如く徐々に状況を理解していった私がやっと口を開いて"そうじゃなくて…“と言おうとすると、明らかに奥の方に燃え上がるような怒りを隠した充血した瞳で「だから、今日は大人しく静かにしといて!」と言い、両手で私の身体を力強く"気を付け“の姿勢にした。

私は単に母方の祖父が幼心ながら"凄い人“なのかどうかが知りたかっただけなのに、母は自分が以前話した事を、私が変な肉付けをして理解し、死後の場所に『天国』と『地獄』ともう一つ、『早稲田』があると信じていると思っていた。祖父の棺に花を手向け最後のお別れをする際、私は実に複雑な気分で居た。「貴方の娘はある意味"凄い人“です」と云いたかった。

[ 2009/11/20 ]

nob morley
吉本新喜劇所属のお笑い芸人。本名:森田展義。最近は出演時間の長い役もこなす期待の若手。とウィキペディアに書いてある。稼いでんの? by 編集部

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