気分は生活習慣病

150「縄が私の綱」

『運命的な出会い』 それぞれ色んな出会いがあって成長していく。私にとってのそれは19歳の春でした。
1年間の浪人生活を経て教育大学に入学し、最初の授業が“体育”でした。大学なのに、授業のカリキュラムを見ると中学の時間割が紛れ込んだのかと疑う程、“国語”“英語”や“音楽”と馴染みのある教科名が、“教育指導論”などの新しい五字熟語かと思わせるような固い講義名の間に混じっていた。それもその筈、教育者を養成する学校だ。今までとは違い、その教科の指導法を勉強するのだ… と思っていたら、ただ、ピアノを弾く練習や、私よりも発音が下手な老人教授がボケ防止の一環とも取れる感じで教える英語の発音矯正や、中学の復習のような日本史と世界史、そして、童心に返らせることが目的のような大縄跳び、誰もが「こんなことをする為に大学に来たんじゃない!」と怒声を上げたくなる程、“大学の授業”のイメージとは程遠い内容だった。
とは言え、授業に出席しないと“単位”は貰えない。徳を積まないと立派な人間になれないように単位を貯めないと4年で卒業出来ない。そうなれば最早、授業内容なんかどうでも良い。入るのにそれなりにしんどい思いをしただけに、出るときは楽に出たい。“体育”であろうが、その授業内容が18、19ぐらいの年齢の人間が各班何名かずつに分かれて競い合うという物凄くサブく感じる状況下での個人的に苦手な集団行動を助長されようが、そしてそれが男女混合の『大縄跳び』であろうが、小学校以来やったことがない種目を純粋だったあの頃の価値観を思い起こしながら、一生懸命にやらなければ単位を貰えない。だから、手を抜かず真剣に取り組む…
と思っても、高校時代、不良ではないが『何事も真面目にやる』が『格好悪くダサい』とスレた考えを持ち続けていた私にとって、回転する大縄の中に男女交互に順番に入って飛び跳ね、大きな声でチームワークよろしく全員で飛んだ回数を数えるなんて、たとえそれが何処かの収容所で不真面目な姿勢を監守が見付けた瞬間、サーカス団が猛獣を扱う時に使う太く長い鞭で力任せに全身を幾度と無く打たれようとも、恥ずかしくて己の中に築いてきたプライドが許さない。となれば、私が単位を貰う為に出来ること、それは「必死に縄を回すこと!」と、指導教官の「準備して!」の掛け声と共に一斉に動き出す人間を掻き分け我先にと大縄の端を握り頭上に掲げ「取り敢えずこっちは俺が回すから!」アピールをした。
別に楽を選んだ訳では無く、周りから見て長身であると見受けられる自分が縄を回した方が勝利に繋がるのだと自分に暗示を山程掛け、逆側の端を持った人間と視線を合わせ、手に持つ縄を再確認すると、自分の手の前に色の白い女性の手が『頂戴』という意味合いを示すように差し出されていた。「どういうこと?」と状況が読み取れず、手の主の顔を見ると「私、まわす!」と言葉足らずに言い放った。「女にこんな大縄回せるか!」と思った私は、一生懸命に全身を使い大縄を回す彼女の顔を凝視しながら一番初めに大縄の中に入り誰よりも数多く飛び跳ねていた。一目惚れでした。

[ 2010/09/17 ]

nob morley
吉本新喜劇所属のお笑い芸人。お陰様で22日の単独イベントは立ち見が出るほどの大盛況で終わりました。ご来場頂いた方には心から感謝しております。

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