気分は生活習慣病

163 今すぐ姫を救い出せ!

魔王に幽閉された姫を救う勇者の気持ちで、とあるマンションの下に勇者が跨るに相応しい白馬のようなワインレッドの原付を停めた。街は寝静まり月明かりと街灯だけが頼りという薄闇の中、下から建物を見上げると、単なるマンションが悪魔城のような要塞に見え、一室だけ煌々と外に光を放っている部屋が…一目で姫の居る場所が其処だと分かる。

実は姫が居る場所には一度行ったことがある。愚民の私の部屋よりも姫の住む部屋の方が家賃が高いのに狭いと言う姫君の言葉を信じられず、百聞は一見に如かずと、この目で確認をしに行かせて貰ったのだ。と云うのは完全なる建前で、本来の目的は、単純に好きな人が住んでいる部屋がどんな感じになっているのか見たかっただけだ。玄関先で緊張でたじろぐ私を老人の手を引くように優しく部屋の中へと案内してくれた。間取りはと云うと、何処の不動産屋でも取り扱っている8畳程の1R物件で、女性的な施しが一切されていない至って普通の狭い部屋。確かに愚民の私の部屋の方が広かった。が、明らかに姫の部屋の方が一年中快適に過ごせる設備が整っていた。流石、姫君がお住まいになられるお部屋だと感心してしまう、現代技術の粋を結集させた奇跡的産物『エアコン』が其処にはあったのだ。

それを見た時、自分の今の住まいで夏の暑さを凌ぐことが出来るのか一瞬にして不安になり、つい「エアコンあるやん!」と時代錯誤ともとれる感嘆の声を漏らしてしまった。それを聞いた姫は少し驚いた表情で「あ、アンタの部屋エアコン無かったなぁ〜。まぁもし、夏暑くてどうしようも無くなったら家においで!」と最後は計り知れない笑顔を私に向けて下さった。姫の意図するところが明確に分からないにしても、こんな素敵な女性に惚れない筈がない。 正直、無防備な笑顔を向ける姫をその場で押し倒して事に至りたかった。然し、ただでさえ狭い部屋に机やテレビが置かれていて、ベッドはと云うと、空間を有効に使う為の胸の高さぐらいのロフトベッドで、押し倒すというより突き上げるという形になるので、交わるスペースは全く無かった。

取り敢えず、その日は姫の部屋の匂いを脳裏に焼き付けるように激しく深呼吸をし、それを土産に「次、此処に来る時は、この匂いだけでなく、この女性も家に連れて帰ろう!」と心に決め帰宅する事にしたのだが、よくよく考えたら私の部屋とさして代わり映えのしないヤニ臭い部屋だった。そんな日から数日後、まさかこんな形で好機が巡ってくるとは思ってもみなかった。

拳を強く握り締め、階段を上るとまだ固まっていないゆるい覚悟が次第に硬くなって行くのが分かった。扉の前に立ち、この向こう側に連れ出す姫が居るのだと思うと弥が上にも緊張し、インターホンを押そうとする指先は尋常じゃない程冷たく震えていた。本来なら「ピンポーン!」と軽快に鳴る筈のベルがその時ばかりは「ピピッピ、ピンポポポーん!」と滑稽に響き、暫くの静寂の後、扉の鍵が開錠される"カシャン"という音、扉がゆっくり開かれ、現れたのは全然知らない眠そうなフィリピン人女性。―― どうやら階を間違えたようだ。

[ 2011/04/01 ]

nob morley
地震発生時、私は京橋花月の舞台上でした。お客さんは余りの揺れに非難しました。 その頃、まさか別の土地があんなことになっているなんて…

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