のんびりアート

038「セラフィーヌ」

夏の季節でのこの仕事は、セラフィーヌにとって苦にならなかった。むしろ、流れの上で演じられる光の小躍りを見るのが大好きだった。それら、キラキラとせわしなく左右に揺れ動く輝きは、水の上に浮かぶ無限の数の宝石…。彼女はフト我に帰ると、それら輝きの真っただ中に汚れた洗濯物を投げこんだ。トンボが驚いて急上昇する…。洗濯女、それがセラフィーヌだった。

あの声を胸に聞いたのはいつ頃だったのだろうか…。セラフィーヌが1才になった時に母は死んでいる。そして、父は彼女が7才の時死んだ…。あの頃からだろうか。家畜の見張り番、召使いなどをやりながら、すべてが乏しい世界で生きて来た少女時代。セラフィーヌにとって、声は慰めであり、かすかな希望でもあった。
40の年になった頃から始めた家政婦の仕事も、もう10年近くになる。けっして楽ではなかったが、セラフィーヌには秘密の楽しみがあった…。部屋にもどると、独り、絵を描いていたのだ。いつも花や葉や果実だが、描き進むとつらい自分がなくなっていった。

ブィルヘルム・ウーデはパリの美術誌に批評を書いているコレクターで、その頃台頭して来たナイーフ・アートに夢中になっていた。1912年のある夜、彼は当時住んでいた田舎町の中流家庭の晩餐に招かれる。部屋の片すみにあった小さな絵が気になり、誰の作品かを尋ねると、驚きの言葉が返ってきた…「あんたの家に掃除にやって来るおばさんだよ」…ウーデが、初めてセラフィーヌの絵を目にした時である。その後、ウーデの絵の買い上げに力を得たセラフィーヌは、ますます絵の深みに落ちて行く。しかし、世界の変化が足音高くやって来る。第一次世界大戦が始まると、「絵は続けるように。またいつか…」、そんな言葉を残して、ウーデはドイツに帰ってしまったのだった。
ウーデがもどって来たのは、戦争が終り13年もたった後である。偶然、市役所で開かれていた地方画家展でセラフィーヌの絵を発見した彼は、強い衝撃を受ける。大きなサイズに変身した彼女の絵は、花の美しさを超越し不思議な内面世界を漂わせていた。それと、困難の中で描き、学び続けた勇気がウーデの感動を呼んだ。ウーデはセラフィーヌの絵を買い取ると、その後の援助を約束する…。が、運命は、ここでもいたずらをする。2年後の1929年、大恐慌が起こり、ウーデには前の言葉の実現が不可能になるのだった。セラフィーヌの失望は大きかった。彼女も65才になっていた…。

あの声が聞こえる。でも、声はもうセラフィーヌの味方ではなく恐怖に変っていた。そして…目を覚ますと、ある日、天井も壁も床もベッドも、洗いたての白さに輝いていた…。

[ 2010/02/19 ]

日塔 富夫
トロント在住のイラストレーター。Esquire、The Financial Post 、Saturday Night、Toronto Lifeなどの表紙、挿絵を手がけたほか、映画『The Fly』『M Butterfly』にも作品提供する。サイトwww.tomionitto.com

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