Tran Anh Hung

映画監督 トラン・アン・ユン

愛情を持って映す
こだわりの世界

― 心動かされる何かを感じてください

(2011年01月07日記事)

溢れ出すような透明感、画面いっぱいに戯れる光、そして作品全体を覆う高い湿度。トラン・アン・ユン監督の作品はとにかく美しい。静かに、坦々と語られるストーリーとは対照的に、官能的なほどに瑞々しい映像美がその特長だといっても過言ではないだろう。そして実際にお会いしたトラン監督は、スタイリッシュで繊細なルックスと温かい語り口の、彼が撮る作品の中からすっと抜け出てきたかのような方だった。

日本でも話題となった『青いパパイヤの香り』や『夏至』など、これまでベトナムを舞台にした作品を取り上げ続けてきた感があったトラン監督だが、前作『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』では木村拓也、イ・ビョンホンらを起用、東南アジア以外のアジア圏を舞台とした複雑な世界を描いた。そして今回は、村上春樹の世界的ベストセラー『ノルウェイの森』を実写映画化。昨年末から日本全国で公開され、話題となっている。

原作となった同名小説は87年に発表されて以来、発行部数1044万部以上、つい最近その記録が抜かれるまで、日本で最も読まれた恋愛小説と言われていたもの。36言語に訳され、世界中に沢山のファンを持つ人気作品だ。著者の村上本人も”(自分の中で)特別な位置にある作品”と語るこの『ノルウェイの森』は、トラン監督にとって、どうしても映画化したかった作品だという。

「『ノルウェイの森』は、94年にフランス語訳で発売された時にすぐ手に取った作品です。読んだその時、映画化したいと強く思いました。ただし、撮影に漕ぎ着けるまでにはすごく時間が掛かりましたね。僕のこの作品に対する気持ちに興味を持ってくれたプロデューサーに薦められて、村上さんは自身の作品の映画化に消極的な方だと伺っていたんですが、是非、同意していただきたい、という内容の手紙を書いて直接交渉しました」

原作小説の全てのアスペクトに惹かれたというトラン監督。しかし、上下巻にわたる長編小説を映画化するには、いくつものハードルがあったという。

「小説をベースにする時だけじゃなくて、映画を作るときには決断は付き物なんだけど、今回は特に原作が長い小説だから、それを2時間程度の映像にするには沢山の"ショートカット“をしなければいけなかったんです。例えば、霧島れいかさんが演じたレイコの役は原作ではもう少し歳をとっていてユーモアがある感じだけど、主人公が年齢のギャップを越えて惹かれていくようなキャラクターを短い映画の中で描くことは難しい。だから、"美しさ“というショートカットを使いました。そのほかにも、小説を読んだ時に僕の心に残ったシーンを、全体の流れやフォーカスを考えて抜かなければならなったり… そういう感じで、いくつかのハードルがあり、それを乗り越えるための決断はありました。
でも、問題は所詮、"問題“なんだよね。問題があるなら解決すればいい、それだけのことだから問題はない(笑)。複雑な言い方になってしまうけれど…」

そしてトラン監督は、決断の中でも、作品の良し悪しを最も左右するポイントのひとつ、出演者について触れた。

「作品の中心となる登場人物のキャスティングには、長い時間を費やしました。
ワタナベ役を演じた松山ケンイチさんは、今考えてみても、僕の描いていたワタナベ像に一番近い人だと思いますね。キャスティングの際には、人間性が僕の描くものに近いかどうか、そこがポイントとなります。キャラクターの人間性と一致する人間性を持っている俳優さんを探すということは大変ですよ(笑)。自分の判断が正しいのか、もしくは間違っているのか、それに対する100%の答えはありません。だから、僕は感じたものを大切にしようと思っています。ただ、今回の場合は、僕の最初の印象をある人に変えられたんですよね」

そう言って笑いながら監督は、直子のキャスティングについて話してくれた。

「物語のヒロイン・直子は、徐々に精神を病んでいく。恋人が自殺し、ワタナベに想いを寄せられれば寄せられるほど喪失感が募っていくんです。そして、心が壊れていく…そんな複雑なキャラクターを菊地凛子さんは深く理解して、汲みとって演じてくれました。
実は、凛子さんは僕のファースト・チョイスではなかったんですよね。でも、彼女は絶対に出演したいからオーディションを受けたい、って言い張ったんです。しつこいくらい(笑)。僕は『ちょっとイメージと違う』と言い続けていたんですが、彼女は『いいから一度、私の(演技している)テープを見てくれ』と言ってビデオテープを送ってきました。その時には僕の中には別の女優さんの候補があったんですが、凛子さんが送ってきたテープを見たら、直子の役は彼女以外にないということが一目瞭然で分かりました。テープの中の女性は"菊地凛子“ではなく、直子そのものだったんです」

ノルウェイの森
1987年に刊行され、ベストセラーとなった村上春樹の同名小説の映画化。高校生の時に親友・キズキを自殺で失なったワタナベは、その喪失感から逃れるように、知り合いのいない東京の大学に進学する。しかしその東京で、キズキの恋人だった直子と再会する。2人は頻繁に逢うようになるが、直子は心を病んでいた。
出 演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、
         高良健吾、玉山鉄二、霧島れいか ほか
サイト:www.norway-mori.com

現場では、主演の2人を含め、キャラクター作りへの時間を惜しまなかったという。そして、定評のあるトラン監督の細かい心象風景の描写は、この作品にもたっぷり盛り込まれている。

「葉っぱに載った雨粒の位置や、背景に入り込むもの一つひとつに気を配ります。背景からの情報をあまり入れたくないからアップにしたカットもありますし、空や風の映し方ひとつにも、僕が持っている世界を再現するためにこだわりました。細かいことだけど、どうしても気に入らなくて撮り直しをすることもありました。たとえ確信を持って選んだ役者さんたちに囲まれていても、自分の想い描いた世界を表現するために、現場ではわがままになりますよ(笑)」

そんな細かい演出は、やはり、"人気小説、待望の映画化“というプレッシャーからだろうか。

「そういう意味でプレッシャーを感じることはありませんでしたね。
小説を読んだことのある人はそれぞれの頭の中に描いた自分だけのバージョンの『ノルウェイの森』を持っている。それは当然のことで、映画は僕の描いたバージョンを観てもらっているというだけのこと。だから、想い描いていたものとはちょっと違うかな、と思う人もいるかも知れない。それでも、こういう受け取り方もあるとして、一つの映画作品として気に入ってくれたらうれしいですね。僕は、繊細な、心を揺り動かされるような作品を撮ったつもりでいますので、観た人が何か美しいものを心に感じてそれを持ち帰ってくれたら… そんな作品になっているか、それが一番のプレッシャーですね」

柔らかい口調の中に、強い信念を感じさせるトラン監督。そんな二面性を持つ監督だからこそ、揺れ動く心のありようを描いたこの作品の独特の空気感を映し出すことができたのだろう。

*文中敬称略

〈インタビュー/西尾 裕美〉

Biography

トラン・アン・ユン

1962年生まれ。ベトナム出身、パリ在住。12歳の時にベトナム戦争を逃れて両親と共にフランスに移住。『青いパパイヤの香り』(93)でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人賞)を、『シクロ』(95)でヴェネツィア国際映画祭のグランプリ(金獅子賞)を受賞。その他、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品された『夏至』(00)、木村拓哉とイ・ビョンホンの競演で話題となった『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(09)がある。

 
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