Kosuke Kimura

プロサッカー選手 木村 光佑

強い意志で貫く信念

日本人初のメジャーリーグサッカー選手が、
ここまで辿り着くことが出来たわけ

(2011年01月21日記事)

昨年12月、トロントのBMOフィールドで北米のプロサッカーリーグのプレーオフ決勝戦であるMLSカップが開催された。1試合の勝敗で年度チャンピオンが決まるこの対戦を、全米のサッカーファンは息を呑んで見守った。対戦チームはコロラド・ラピッズとFCダラス。延長戦の末、2-1でコロラドが勝利と全米制覇のタイトルを手に入れる。そして、その歓喜の輪の中に、日本人初のMLSプレーヤー、コロラド・ラピッズの木村光佑選手もいた。

木村選手は神戸生まれ、横浜育ち。子どもの頃から将来はサッカー選手になると決めていたという。

「サッカーしかやりたいことがなかったんです。小学生の時、兄貴と2人でサッカーを始めました。僕が小学校に上がったくらいの93年にJリーグ(日本プロサッカーリーグ)が発足していて、中学校3年の時に(Jリーグに参加しているチームのひとつ)川崎フロンターレのユースのトライアウトに受かったんです。その後、すぐにサテライトというプロの2部の方で試合に出させてもらったりして、まぁ順調にいってたんですが、高2の夏に左足の小指の付け根を疲労骨折。そこから10か月ぐらい、(試合や練習に)参加できなくなってしまいました。それでも、怪我が治った後に高校のチームで全国大会に出てユースとしてはある程度買われてましたが、高3の夏にプロのトライアウトのような感じで1か月間のキャンプに参加した時に、やはり怪我をしていた10か月が響きました。同時に、当時フロンターレがディビジョン2に落ちてしまったんです。だから、誰一人サイン(契約)されず…」

そこから彼の夢への試行錯誤が始まる。「フロンターレユースにいた友人が、(日本で)だめだったらアメリカの大学でサッカーして、そこからプロを目指すと言ったんです。ヨーロッパでプロを目指すには18歳では遅いんですよね。でも、アメリカは大学にいってからプロに行くのが主流だから、って…。僕も、それだったらチャンスがあると思いました。

でも本当は、サッカーを辞めるか、辞めないか、すごく迷ったんですよ…」

そんな時、怪我をしていた時期の経験が役に立ったという。

「チームのアスレチックトレーナーがアメリカでライセンスを取得した人で、怪我をしている間、その人の話を聞いていたんです。アメリカに行くんだったらサッカーをやりながら(トレーナーとしての)勉強もしたいと思いました。大学でサッカーをするといったら4年間ほとんど勉強しないでスポーツだけになります。でも、サッカーがだめだった時のことも考えなきゃいけなかったですから」

そして英語もままならない中で渡米した木村選手は、"アメリカのサッカー“に出会う。

「めちゃめちゃ激しいんですよ! 技術はないけど身体能力だけでプレーする奴もいてね。そういうところが全然(日本と)違いました。日本だと、技術、技術でサッカーに入りますけど、こちらはある程度、身体能力がないと出来ないところがあります。だから、すぐに肉体改造しました。筋トレや、身体能力を上げるトレーニングばかりしましたね」

その努力が実って、大学チームなどで活躍、07年にコロラド・ラピッズからサプリメンタルドラフトにて指名、本契約を交わした。日本人初、そして唯一のMLS選手の誕生だ。チームメイトや関係者は、彼について、朝から晩までサッカーをしている選手だと語る。

「小さい頃からサッカーが好きなので…。Jリーグに入るような選手はある意味、エリートにサッカーをしてきているんです。小学校低学年の時から週6日くらいで練習に参加したりして…。でも僕は練習するところもなくて、友達と公園のコンクリートの上でサッカーをしてました(笑)。その時から楽しくてしょうがなかったんです。
また、やはりプロである以上、上のレベルにいる奴より上手くなるために誰よりもサッカーのことを考えて、誰よりもサッカーをしないと…。サッカー選手って(選手寿命が)短いんですよ。だから、1秒1分でも無駄にしたくないんです」

木村選手は、頭の中で描いたプレーが出来るようになるため練習すると言う。

「例えば、クロスボールを中に入れようとするじゃないですか? 思ったように蹴っていなくても、いいところに飛ぶことはあるんです。周りから見たらそれでいいんですけど、僕の中では、自分が思ったタイミングで、思った所にクロスをあげて、それでゴールに繋げたい。そのための練習であって、それがあってのプロですから…。地道に、今の自分に満足せずにやっていきたいです。満足してしまったら、誰よりも上に立ってやるという気持ちがなくなったら、僕はプロとして終わりだと思うんです。引退する直前まで、その気持ちを絶対捨てたくないですね」

そして、アメリカにいる今だからこそ、日本のサッカーについて思うこと、感じることを伺った。

「体の強さとか局面での強さが、日本だけじゃなく、アジア全体の課題だと思います。日本はサッカーの上手な子を育てるのは上手いんですよ。でも、技術はちょっと下だけど足が速くて身体能力が高い子こそ育てなきゃいけないんです。そういう子達は沢山います。大きな試合になったら、技術だけじゃ通用しない。日本は技術に重点を置きすぎちゃって、本当に将来、世界に通用する選手を育ててるか、って言ったらそうじゃないと思うんです」

将来のサッカー界を担う子どもたちの話題に、非常に熱心に答えてくれた木村選手。彼は昨年、地域活動や慈善活動の一環として病院や障害者施設にいる子ども達と接し、チームの Humanitarian Award を受賞している。

「(賞について)自分が出来ることを通して子ども達に少しでも何かを分けてあげられたら…っていうのはあります。彼らに、将来サッカー選手になりたいな、と思ってもらえば、それは嬉しいです。
プロでも一番捨てちゃいけないものは、子どもみたいに、本当に好きで、楽しんでサッカーをやることだと思います。子ども達にサッカーを教えたり話したりすることで、そんな無邪気さ、というか、物事を好きでやるっていうのはどれだけ嬉しいことで、力になることなのか、逆に学んだこともありますね」

最後に木村選手は、こんな強いメッセージを贈ってくれた。

「自分が強い意志を持ってやることはどんなことでも大切ですし、他人に何を言われようが絶対にひるむことはないです。強い意志を持って、考えて、実行していけば、どんなことでも絶対叶います」

トロントで彼の勇姿が見られる機会は1年にたった一度。しかし、その1日で彼が見せてくれる熱い試合は、ずっと記憶に残るだろう。その日には必ず、BMOフィールドに足を運びたい。

〈インタビュー/西尾 裕美〉

Biography

きむら こうすけ

日本人初・唯一のMLS 選手。ミッドフィールダー、ディフェンダー。コロラド・ラピッズ所属、背番号27番。07年のドラフトでラピッズより指名され、9月にデビュー。10年はワイルドカードから勝ち上がったチームを、MVPを獲得する活躍でMLSカップに導く。フル出場した同大会で全米制覇。また、慈善活動が評価され Colorado Rapids 2010 Humanitarian of the Year を受賞する。
www.kosukekimura.com

 
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