Usamaru Furuya

漫画家 古屋 兎丸

1コマ、1コマを確実に…

毎日積み重ね、気がつけば遠くまで来ていた、
それが漫画を描くということだと思います

(2011年05月20日記事)

5月7、8日に『Toronto Comic Arts Festival 2011(TCAF)』がトロント・リファレンス・ライブラリーで開催された。コミックというアートに魅せられたファンたち約1万人が集まり、世界各国からコミックアーティストをゲストに迎えたこのイベント、日本からも人気作家2名が参加すると聞き、普段はなかなか見ることの出来ない漫画家さんの素顔を拝見したいと足を運んだ。

ジャパンファウンデーション・トロントの図書館からお借りした漫画、『ライチ☆光クラブ』を読んで、その退廃的かつ耽美で繊細な世界に一瞬にして飲まれた(そのため地下鉄の駅を乗り過してしまった…)。この漫画を描いた古屋兎丸さんは、優しい雰囲気を持った人。誠実な人柄を物憂げな佇まいに包み込んだ、とても存在感のある作家さんだ。

「(TCAFは)世界各国からいろんなスタイルの作家が集まってきています。熱気があって、すごく楽しいですね」
ニッコリと微笑みながら話し始めてくれた古屋さん。その著作は英語やフランス語に訳されて海外で出版されているが、日本国外のフェスティバルに参加するのは初めてだという。

「いま日本では、インディーズやアンダーグラウンド・コミックみたいな市場があまり活発じゃないんです。まだこちらの方がそういうのは活発なように感じますね。日本では、インディーズ・コミック市場のブームは恐らく10年以上前に過ぎ去っていまして、それ以降は発表媒体もあまりないですし、だんだん勢いがなくなっている気がします」

古屋さんのデビューは『ガロ』誌だ。作家性の強い漫画家の作品を多く掲載した『ガロ』は、当時サブカルチャーを愛する人々がこぞって手にした雑誌で、従来の漫画雑誌と一線を画したそのオリジナリティに、漫画ファンだけでなく多くのアーティストが注目していた。

「それまで僕は、漫画を描いたことがなかったんです。美大を卒業して、その後、高校の美術の先生になりました。だから、漫画を描き始めた時、"自分のフィールド"で描くしかなかった。だから、そこから漫画の経験がないということで実験的な作品となってしまったのだと思います」

美術の先生から漫画家への転職は、私たちが思うほど親からは反対されなかったという。
「僕の場合は、美術の先生と言っても非常勤講師でしたし…。僕は親を諦めさせることに、学生時代に成功しているので(笑)。親って、子どもに期待してるじゃないですか? だから、子どもが親と対立した時、どうやって親のことを諦めさせるのか、ということが一番の課題だと思うんです(笑)。硬い職業に就いてもらいたいとか、そういう期待をされているじゃないですか? でも、中学・高校の時から『実は、僕は絵の道に進みたいから、最悪、ホームレスになることを覚悟しておいてくれ』(笑)と、ずっと言い続けたんですよ。そのつど怒られてはいたんですが、美術の大学に入って、そこでもお金なくてふらふらしているような生活をしてるのを見ていると、親もだんだん諦めてくる…。
だから、高校の先生になったのに漫画を書き始めて、『学校の先生を辞める』と言っても、『まあ、好きにしなさい』という感じでした」

漫画家・古屋兎丸のデビュー作は『Palepoli』(パレポリ)。94年にこの作品が発表されてから、これまでにいくつもの傑作を生み出している古屋さんだが、『ライチ☆光クラブ』に関しては絶対にお話を伺いたいと思っていた。私見になってしまうが、この作品ほど、その繊細かつダークな作風に衝撃を受けたものはない。
「この作品は、東京グランギニョル(注)の演劇『ライチ光クラブ』( 85年、86年)が原作ですね。高校時代に見た(この)演劇があまりにもショッキングだった。それを20年以上の時を経て、漫画にしたい、と思ったんです」

聞けば、古屋さんはご自分でもパフォーマンスアートをやっていたという。

古屋兎丸氏の作品

『ライチ☆光クラブ』( 太田出版)
工場の煙に覆われた螢光町。その片隅にある「光クラブ」と名づけられた少年達の秘密基地で、ある" 崇高な" 目的の為に作られた「機械」が目を覚ます…。

『自殺サークル』(太田出版)
2001 年5 月31 日、新宿駅で54 人もの少女が電車に飛び込み、集団自殺をした。生存者はただひとり― その名は小夜。

 

「舞踊をやっていたんですよ。今でも踊ることはありますよ。1人で…、自分の部屋で…(笑)」
鬼才・園子温監督の映画『愛のむきだし』にもゲスト出演しているという、多彩な顔を持つ古屋さん。

来年冬に舞台となる『ライチ☆光クラブ』について、"今度は漫画を原作として、またひと味異なる『光クラブ』が出来上がり、ひとつの芸術が、いい意味でリサイクルされているようですね"とコメントをすると、古屋さんは頷きながら答えてくれた。
「そうですね。自分がいいと思ったものを後世に伝えていきたいな、と思ってグランギニョルの演劇を題材にして描いたんですけれども、それがまた、さらに多くの、下の世代に引き継がれて演劇となって蘇るというのはすごく嬉しいですね。僕の愛したものが受け継がれていくっていうんですかね。芸術が語り継がれていくその過程で、僕が繋げていくという役割を果たせて… うれしいな、と思いますね」

演劇という身体表現の世界に惹かれ、そこから表現方法を漫画に…、そしてその作品は今、多言語に訳され、日本だけでなく世界中からファンを集めている。すでに漫画家として成功している古屋さんだが、さらにもっと大きな目標を持っているのだろうか?

「お蔭様でいろんな方に評価していただいています。ありがとうございます。
将来的な目標と言っても、漫画を描く作業っていうのは大きな野望を持って到達できるものでもないんですよ。例えば、イチロー選手のような、1打席、1打席、確実にこなしていくような作業が続きます。1コマ、1コマを確実にちゃんと描いていく、それを毎日続けることで、気がついたら結構遠くまで来ることが出来た… そういう類のものだと思っています。だから、何か一発やってやるぞ、っていう夢を持っても当たるものではないと思います。これからも、1コマ、1コマを丁寧に、確実に描いていきたいと思っています。
僕の作品に興味を持ってくださる方は大人の方が多いかとは思いますが、お子さんが読んでも楽しんでいただけるような、刺激的な内容を抑えた作品も描いています。いろんなものを描いているので、その中で、自分に合ったもの、それぞれに興味を持って読んでもらえるものがきっとあると思います。幅広い層の方に読んでいただけたら嬉しいですね」

〈インタビュー/西尾 裕美〉

 

(注)東京グランギニョル…80年代に活動した劇団。代表は飴屋法水。暴力的な内容を特徴とした独自の美意識を持った劇団で、活動開始から僅か3年で幕を閉じた。

Biography

ふるや うさまる
東京都出身。多摩美術大学卒業。94 年、月刊『ガロ』に掲載された『Palepoli』(パ レポリ)でデビュー。
作品に『自殺サークル』(コミックVer.)、『π(パイ)』、『ライチ☆光クラブ』、『幻覚ピカソ』などがある。
また、漫画以外にオムニバス映画『ZOO』(原作:乙一)の中の一本『陽だまりの詩』の脚本・絵コンテ・キャラクターデザインを手がける。CD ジャケット、雑誌の表紙のイラスト等でも活躍 している。
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(公式ブログ)

 
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